Sunday, March 24, 2013

どうして日本語を勉強している?

最近、他の大学院生の友達にどうして日本語を勉強しているように聞かれた。彼が分からないところは僕がヨーロッパの歴史を専門しているので、日本語の勉強はそういう研究に貢献しないことだ。不必要な勉強を重ねるともう目が回るほど忙しい大学院生の生活がけっこう大変だろうと言った。友達は日本語が面白くないと思うわけけではない。しかし、彼にとっては専門とはっきり関係していない勉強は不必要な勉強だそうだ。

実は、僕が日本語を勉強している理由はいくつある。一つは研究のことに関係する。日本の歴史の中で色々な面白いことがあるのだけど、江戸時代の「蘭学」という現象が特に面白いと思う。錯覚時代でも「蘭学」を学ぶことによって、日本人が西洋の知識が分かるようになった。面白いと思うのは学者が昔の西洋人の知っていたアジアのことをよく研究しているけど、昔のアジア人の知っていた西洋のことを研究している学者が少ないようだ。なぜなら、重要なラテン語と日本語とオランダ語が全部よく分かる人少ないようだからだ。でも、ラテン語と日本語を勉強している僕は蘭学を学んだ昔の日本人をだんだん研究できるようになるだろう。友達はやっぱりこの日本語を勉強している理由がいいと思った。

しかし、 専門とはっきり関係していない勉強は本当に不必要なのか。僕はそういうことではないと思う。将来蘭学を研究できるようになるかどうか分からない。(蘭学の文書はたいてい分かりにくい漢文で書いてある。)でも、今でも、大変なことあっても日本語を勉強していることによって、生活がよくなる。どうしてかというと、色々な理由ある。一つは日本で住んだ時を覚えるため。ベッキーさん、メアリーさん、朴先生がよく通り、外国で住むのが変形させる(transformative)経験だ。僕の人生の中で、一番自分の成長が進んだ時は日本で住んだ時かなと思う。だから、その経験を守る一つの手段は日本語の勉強だ。

でも、それだけではない。日本語を勉強しているのは過去を覚えるだけではない。実は、成長しつづけたいため、日本語を勉強しているのだ。僕の友達が頭がいい人だと思うけど、このトピックについて彼と賛成していない。もっと賢くなるために、自分の専門や仕事とはっきり関係ある興味が不必要というわけではなく、逆に本当に必要だと思う。専門や仕事しか考えないと立場が狭くなってしまって、人生の色々な味を味わうことができない。それも、教師や教授の場合は勉強していることは狭すぎると自分が好きなトピックについて話す相手は少ない。研究者は多くの人々に研究したことをあげる者だろうか。だから、多くの人々と話すために、幅広い興味を養うというのは絶対に必要だと思う。

 しかし、言うまでもなく、何よりも日本語を勉強しているのはコロンビアで日本語の勉強がとっても楽しいからだ!^_^

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